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【WiLL斜め読み】誰が「南京大虐殺」を捏造したか
マンスリーWiLL8月号の記事を斜め読みです。




[誰が「南京大虐殺」を捏造したか6]

いわゆる「南京大虐殺」は蒋介石が放ったデマが発端。
蒋介石はデマの拡散に惜しみなく金をつぎ込んだ。

支那民衆の大半が飢餓線上を彷徨っていた時代。
まずは百万米ドルを投じて巨大な孫文の廟を建設、
孫文の功績のようなものがあればそれを横取りする目的で、
孫文の後継者に化けた自己のイメージを確立しようとした。

支那人は西洋人に戦争で負けても気に留めなかった。
しかし、1894年の日清戦争で同じ東洋人である日本人に敗れると、衝撃を受けた。

その衝撃が生んだ反応の一つが、
満州人主体の清朝を倒して、漢人中心の政治を実現しようという主張だ。
蒋介石は史実に反して孫文を清朝打倒の唯一の先覚者に仕立てる事にも腐心した。

1927年4月の反共クーデターのあと、
蒋介石は上海の資本家たちを恐喝し、金を巻き上げた。
テロや逮捕、財産没収、融資強要、処刑などの手段で集めた総額は、
当時5000万米ドルに達すると推定された。


蒋介石は短期の「政府」公債を発行し、軍隊と青幣の暴れ者を使って、
小商店主から銀行の頭取にいたるまで、あらゆる人間に購入を強要した。
それを拒否した者は息子が誘拐された。
多額の寄付をすると息子は戻った。

上海の資本家はこんな暴力でねじ伏せられ、以後、ずっと金を貢ぐことになる。

蒋介石が本当に望んでいたのは、
満州に駐留してソ連の攻撃に備えていた日本軍を背後から攪乱して
支那本土に誘い込み、戦争を仕掛けることだった。


蒋介石は表では共産党軍に対する攻撃に専念しているように装った。
しかし裏では秘密組織を使って工作を進めた。
万里の長城の南側から攪乱分子を満州に送り込み、日本の関東軍の手を焼かせた。

(日本を攻撃しようとする)ソ連の動向を監視していた関東軍は
背後を脅かされる形になり、
攪乱分子を追撃するため、何度か支那北部に軍を進めた。
蒋介石はこの行動を「日本の支那侵略だ」と宣伝する。

怒る日本に対し、蒋介石は目先をごまかす作戦に出た。
日本との間で「北支停戦協定」「梅津・何応欽協定」が結ばれるが、
二つともインチキで、不渡り手形で人をぬか喜びさせる支那人の手口だった。


支那と戦う準備がなかった日本側には敵の情報を統一的に処理する機関がなく、
支那側が日本国内に送り込んだスパイは一人も捕まらなかった。

蒋介石という人物を見る場合、見落としてならない要素は、
中学生の頃からなじんでいた兵法書『孫子』である。
『孫子』の要諦は「戦わずして勝つ」ことにある。
「戦わずして勝つ」方法の一つは、
巧みな外交で敵を別の敵に討たせる事である。

1932年1月 第一次上海事変。
反蒋介石派の蔡廷鍇19路軍は全力を挙げて戦い、
約2ヶ月間、日本軍の前進を食い止め、引き下がらなかった。

19路軍の奮闘は予想外だった。
簡単に負けると見ていた支那国民は興奮した。
同じ負けるにしても、戦わずして負けるのではなく、戦って負ける気概に喝采した。
ところが、蒋介石は事実上、援軍を出さなかった。別の思惑があったからだ。

論功行賞を期待する19路軍の思惑を無視して、
同部隊を福建省に配置換えをした。
気持ちのおさまらない19路軍蔡廷鍇は福建省の地元勢力と組み、反蒋介石の旗印を掲げた。

それは蒋介石の思う壺だった。
今度は大軍を繰り出して攻め、蔡廷鍇は敗れて海外に亡命した。

自分の支配下にない軍事力は解体する。
これは蒋介石が一貫して持ち続けた方針である。その方針に従い、
19路軍の弱体化に日本軍の手を借りた。

蒋介石は支那事変でも同じ手を使い、
南京で日本軍に足手まといの軍隊を処理させる。
これがポイントである。
これが分からないと、「南京大虐殺」捏造のカラクリが見えない。

「南京大虐殺」」は1937年日本軍による南京占領の前後にはじめにでっち上げられ
特にアメリカで喧伝された「初版」には、
支那人、ドイツ人、ロシア(ソ連)人、アメリカ人、オーストラリア人が関係していた。

ドイツ軍大将のアレキザンダー・フォン・ファルケンハウゼンは、
蒋介石に日本との戦争をけしかけ、また「南京大虐殺」のでっち上げにも関わった。
この人物が本国に送った文書は、後に東京裁判で証拠として提出される。

ファルケンハウゼンの御用商人の一人、シーメンス会社の南京支店長のジョン・ラーベは、
ファルケンハウゼンの命令で「南京大虐殺」のでっち上げに参加し、
その手紙が東京裁判に証拠として提出され、後に日記も公刊される。

(次号に続く)





「戦わずして勝つ」
敵を別の敵に討たせる

それを支那人だけじゃなく、
ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ・・
ありとあらゆる国がそういう策謀をめぐらせていた。
(現代もそうでしょうけど)

その中で誠実でいつづけようとした日本は
世界中から汚名と濡れ衣をきせられた。

それが南京大虐殺であり、アジア侵略であり、
軍国主義日本という虚構だったんじゃないでしょうか。

アメリカも支那人のデマと自身の傲慢にのせられ、
広島長崎に原爆を投下した。

正直者が馬鹿を見る、
そんな世界にしてはいけない、と一念発起した日本人は
決して間違っていたわけではないと思います。
(支那の誘いに乗って戦線が伸びきってしまった作戦そのものは失敗だったと思いますが)

「昔、日本人は悪い事をした」
そんな事実に反する思い込み、刷り込みは、
この夏で捨てませんか?


↓お手数でなければ。


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WILL斜め読み | 10:27:56 | トラックバック(0) | コメント(0)
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