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大阪の一般人です。
過去にもいろいろ書いていますので、下のほうにある検索ボックスから、お好みのキーワードで検索してみてください。「青山繁晴」「宮崎哲哉」「排出権取引」「対馬」など。

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ハワイ王国はこうして併合された
WiLL2月号
堤堯さん「万里の頂上に登って考えた事」より

******************************
ハワイには日系人が早くから移民していた。
カメハメハ王朝のカラカウア王は、特別の予算を組んで日系移民を歓迎した。
王は世界一周の旅の途上、日本に立ち寄り、
姪のカイウラニ王女と、日本の皇室との婚姻を明治天皇に望んだ。
天皇は米国と対決する事を恐れて、(というか当時の日本政府?)
丁重にこれを謝絶した。

米国はハワイ併合を画策していた
その先兵となったのが、
アメリカから乗り込んできた砂糖プランテーションの経営者らで、
彼らはホノルル・ライフルズと呼ばれる武装集団を結成し
頭領にサンフォード・ドールを担ぎ、国王の権限を大幅に削る新憲法を策定し
王に銃剣を突きつけてサインさせた。
これを「銃剣憲法」という。

******************************

・・・まるで「日本国憲法」を作った時と同じですね。

******************************
カラカウア王が死に、娘リリオカウラニが王位につく
彼女は西欧流の民主主義を目指して憲法改正を計画した
当時、現住ハワイ民と日系を合わせれば、人口の過半数を超える。
危機を感じた砂糖業者らは、「治安の悪化」を理由にアメリカ領事を焚き付け、
海兵隊の出動を要請し、ともに王宮に雪崩れ込んで女王を軟禁した。
のちに、彼女はアメリカに拉致・幽閉される。

******************************

・・・やってる事がまるで支那人みたい。

******************************
ドールらはハワイ共和国を創立、自ら初代大統領に就いた。
改正された憲法は、ハワイ人にも日系にも選挙権を与えない

ドールはアメリカのハワイ併合を望み、一九〇〇年、併合なるや初代総督に就いた。

******************************

・・・ひどい乗っ取りかた。エゲツナイ。

******************************
以後、アメリカはハワイを属州とした。
これを正式に五〇番目の州としたのは一九五九年で、
白人の人口がハワイ人や日系人の人口を凌駕するまで待った挙げ句の事だ

******************************

・・・エゲツナイ。

******************************
アメリカがハワイを併合した折の大統領はマッキンレーで、
その副大統領セオドア・ルーズベルトが併合を推進した。
彼は優生学の信奉者で、
アメリカの「明白な使命=劣等民族の支配・教化」を
神から下された使命と信じて疑わない。

くわえて、アルフレッド・マハンの「海上権力史論」を信奉し、
やがて太平洋の派遣をめぐって、日本と雌雄を決する日がやってくる事を確信している。

太平洋を「アメリカの湖」にすることを決意するセオドアは、
ハワイをその要と見て、その併合を急いだ。
次の布石に望んだのがフィリピンだ。

******************************

・・・アメリカは、
外国人を使って梅毒やエイズの臨床実験、というか人体実験を平気でする。
しかし自国内では電車の席を譲ったりと礼儀正しいところもある。

その矛盾は、アメリカを静かに覆う神から下された使命、
「劣等民族の支配・教化」があるからではないでしょうか。


こんなバカげた話が、
今からつい100年ほど前に実際にあった事。
100年なんて、人一人の人生ほどの時間です。

これが世界の現実、
そして、その現実は過ぎ去ったもの、終わったものではなく、
現実に今の日本でも起こっている事です


永住外国人(韓国人、朝鮮人、中国人)の参政権問題、
竹島、千島樺太の不法占拠、
皇室のあり方を変えてしまう女系天皇・・・

世界はエゲツナイ、世界は腹黒い、
それでも日本は平和でモラル高く、
日本文明の中で国民が幸せに生きられる国として、
存続し続けるべきだと思います。


日本が外国に取り込まれて良いはずはない。





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竹島の日

2月7日は北方領土の日

日本の森を守ろう
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未分類 | 13:11:16 | トラックバック(0) | コメント(0)
伝統には理由がある
某惣菜屋でもらった冊子に載っていたお話です。
内容がすばらしいので、ご紹介。↓


SHOKU-IKU新聞 Vol.3 より

東京・白山のイタリア料理店「ヴォーロ・コズィ」の
西口大輔シェフが作るのは本場仕込の伝統料理です。
それも昔ながらの作り方を忠実に守ります。
なぜなら、「伝統には理由があるから」
と西口シェフ。
「野菜の切り方、肉の焼き方、魚のマリネ法、調味の仕方など、
 長い歴史の中で形作られた、
 もっとも理にかなった方法が伝統なんです
ね」

西口シェフによれば、
「一口にイタリア料理と言っても、北と南では違うんですよ」
私たちが思い浮かべるトマトソースのスパゲッティや
バジルとトマトのピッツァ・マルゲリータは、南の料理。
燦々と降り注ぐ太陽が育てたトマトとオリーブオイル、
そして乾麺(昔は天日干しで作られました)に代表される、
酸味の利いた爽快な味わい時特徴があります。
一方、冷涼な気候で山がちな地形、酪農が盛んな北イタリアでは、
卵を使って打つ生パスタ、
バターや生クリームの濃厚なソースに代表されるリッチな味わいが特徴です。

イタリアの人々は、そんな土地土地に伝わる伝統的な食事を頑固に守ります。
「南イタリアの人が北の料理を食べることはないし、
 北の人は南の料理を食べません。
 子供の頃から食べてきた地元の料理や食材が一番口に合い、
 カラダに合うからなんでしょうね」

“伝統の味わいや料理法を知ることこそ食育”と西口シェフは考えます。
「伝統とは昔の人が築いてくれた財産だと思うのです。
 それを学ばずして、前へ進むことは出来ません」





すばらしい。
タダでもらった冊子なのに(笑)


さて、我々普通に日本で暮らす日本人は、
どれだけ日本の伝統を学んでいるでしょうか。

外国の人に、「何か日本の伝統を教えてくれ」と言われたときに、
「じゃあ・・」とすらすら話せる人って、
今の日本にどれだけいるんだろうか、

自分も含めて、日本の伝統を学ばないまま、
大人になってしまった日本人が、たくさんいるんじゃないでしょうか。

日本の伝統を知らないことも、学ぼうとする姿勢が足りなかったことも、
もちろん、自分の責任ですが、

日本人が日本の伝統を学ぶ機会を奪われ続けていたことも、
また事実ではないでしょうか



戦争が終わって65年。
日本人はもう、
ありのままの日本を見て感じても良いんじゃないでしょうか。

声の大きな他国の人間に迎合することなく、
自分自身のこととして、
日本の伝統と歴史を、
自分の血に、肉に、そして骨にして、
良い時期じゃないでしょうか。


終戦の日前日

日本国民の皆様へ



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未分類 | 15:44:40 | トラックバック(0) | コメント(0)
昭和天皇全国御巡幸
日本人は天皇が大好きで、
天皇も日本の国民一人ひとりを大切に思っていらっしゃる。

というお話。


●天皇全国巡幸とは
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/gyoukou.htm

--------------------------------------

■1.石のひとつでも投げられりゃあいいんだ■

「ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだからね、旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。」

「ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の小男ということを日本人に知らしめてやる必要がある。神さまじゃなくて人間だ、ということをね。」

「それが生きた民主主義の教育というものだよ。」

昭和21年2月、昭和天皇が全国御巡幸を始められた時、占領軍総司令部の高官たちの間では、こんな会話が交わされた。

しかし、その結果は高官達の"期待"を裏切るものだった。昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られた。行程は3万3千キロ、総日数165日。各地で数万の群衆にもみくちゃにされたが、石一つ投げられたことはなかった。

イギリスの新聞は次のように驚きを率直に述べた。

日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている

イタリアのエマヌエレ国王は国外に追放され、長男が即位したが、わずか1ヶ月で廃位に追い込まれた。それに対して、日本の国民は、まだ現人神という神話を信じているのだろうか?』
欧米人の常識では理解できないことが起こっていた。

■2.全国を隈無く歩いて、国民を慰め、励ましたい■

昭和天皇が全国御巡幸の決意を示されたのは、敗戦直後、昭和20年10月であった。宮内府次長加藤進氏に次のように指示された。

この戦争により先祖からの領土を失ひ、国民の多くの生命を失ひ、たいへん災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればよいのかと考へ、また退位も考えた。しかし、よくよく考へた末、全国を隈無く歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちがらせる為の勇気を与へることが自分の責任と思ふ。このことをどうしても早い時期に行ひたいと思ふ。ついては、宮内官たちはわたくしの健康を心配するだらうが、自分はどんなになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかはまつたく考へることなくやってほしい。宮内官はその志を達するやう全力を挙げて計画し実行してほしい。

御巡幸の打診を受けた占領軍総司令部は、冒頭で紹介したような魂胆もあって、許可した。

■3.「食べ物は大丈夫か」「家はあるのか」■

昭和21年2月19日の最初のご訪問の地は、昭和電工・ 川崎工場であった。食糧増産に必要な化学肥料の硫安を生産していたが、空襲で70%の設備が破壊され、社員は必死で復旧に努めていた。

一列に並んだ工員たちに、昭和天皇は「生活状態はどうか」、「食べ物は大丈夫か」「家はあるのか」と聞かれた。感極まって泣いているものも多かった。案内していた森社長は、天皇が身近な質問ばかりされるので、宮中で安楽な生活をされていたら、こんなことは口だけでは言えまい、と急に深い親しみを感じた。

二度目の御巡幸は、2月28日、都内をまわられた。大空襲で一面、焼け野原である。新宿では、昭和天皇の行幸を知った群衆が待ちかまえ、自然に「天皇陛下、万歳」の声が巻き起こった。昭和天皇が帽子をとってお応えになると、群衆は米兵の制止も振り切って、車道にまでなだれこんだ。これ以降、巡幸される先々で、このような光景が繰り返された。

■4.あつさつよき磐城の里の炭山に■

昭和21年には、関東、東海地方の各県を廻られ、22年6月には、大阪、兵庫、和歌山。そして8月の酷暑の中を東北全県の巡幸を希望された。側近が驚いて、涼しくなってからでは、と延期を願ったが、「東北の運命(食料の増産)は、真夏にかかっている。東北人の働くありのままの姿を是非この目に見て激励してやりたい」と許されなかった。

敗戦直後で、宿舎がままならず、列車の中や、学校の教室に泊まられた事もあった。「戦災の国民のことを考へればなんでもない。十日間くらゐ風呂に入らなくともかまはぬ」と言われて、行幸を続けられた。

出炭量の40%を占める重要なエネルギー供給基地福島県の常磐炭坑では、地下450mの坑内を歩かれ、40度の中を背広、ネクタイ姿で、上半身裸の鉱夫たちを激励された。深い坑内で万歳の声が轟いた。この時の御製(お歌)である。


あつさつよき磐城の里の炭山にはたらく人をををしとぞ見し

■5.浅間おろしつよき麓にかへりきて■

この2ヶ月後には休む暇なく、甲信越地方9日間の御巡幸に出られた。最初に浅間山の初雪の中を2キロも歩かれて、山麓の大日向開拓村を訪問された。大日向村は満洲への分村移民を全国で最初に実行した村である。しかしソ連の満洲侵略により、移民694名中、ようやく半数の323名が生き残って、村に帰ってきた。そして標高1095mの荒れ地を切り開いて、入植していたのである。

天皇をお迎えした開拓団長堀川源雄の奏上は、幾度となく涙でとだえた。昭和天皇のお顔も涙に濡れた。

浅間おろしつよき麓にかへりきていそしむ田人とふとくもあるか 

■6.老人(おひびと)をわかき田子らのたすけあひて■

この年、11月から12月にかけてには、さらに鳥取、島根、山口、広島、岡山をまわられた。島根県では新川開拓村で3万人の奉迎に応えられた後、伊波野村で農作業をご覧になられた。
農業会長が、働いている老夫をさして、「我が子を二人とも失いましたが、村人の助けも得て、屈することなく働いております」と説明すると、天皇は次のようなお言葉とお歌を賜った。

この度は大事な二人の息子を失いながら、猶屈せずに食糧増産に懸命に努力する老農の姿を見、一方又、これを助ける青年男女の働きぶりを見て、まことに心うたれるものがあった。このやうな涙ぐましい農民の努力に対しては深い感動を覚える。いろいろ苦しいこともあらうが、努力を続けて貰ひたい。

老人(おひびと)をわかき田子らのたすけあひて
    いそしむすがたたふとしとみし


■7.ああ広島平和の鐘も鳴りはじめ■

12月5日、広島に入られる。広島市では戦災児育成所の原爆孤児84名に会われた。原爆で頭のはげた一人の男の子の頭を抱えるようにして、目頭を押さえられた。周囲の群衆も静まりかえって、すすり泣く。

爆心地「相生橋」を通過されて、平和の鐘が鳴る中を元護国神社跡で7万の奉迎を受けられた。周囲には黒こげの立木、あめのように曲がった鉄骨が残る中で、天皇はマイクで次のように語られた。

このたびは皆のものの熱心な歓迎を受けてうれしく思ふ。
本日は親しく市内の災害地を視察するが、広島市は特別な災害を受けて誠に気の毒に思ふ。広島市民は復興に努力し、世界の平和に貢献せねばならぬ。

ああ広島平和の鐘も鳴りはじめたちなおる見えてうれしかりけり


この中国地方行幸にお目付役として同行していた占領軍総司令部民政局のケントは、原爆を落とされた広島の地ですら誰一人天皇を恨む者がいないことに、ただただ驚くばかりであった。
もともと天皇制廃止を目論んでいた民政局は、兵庫県で小学生達が禁止されていた日の丸を振ってお出迎えしたのを「指令違反」であるとして、以後の御巡幸中止を命じた。

しかし、御巡幸を期待する九州、四国地方からの嘆願や議会決議が相次ぎ、昭和天皇も直接マッカーサーにお話しされた模様で、翌々年に再開が許可された。

■8.子らに幸あれ■

昭和24年5月18日から6月10日にかけては、九州全県を巡幸された。5月22日に立ち寄られた佐賀県基山町の因通寺には、40余名の戦災孤児のための洗心寮があった。孤児たちの中に、位牌を二つ胸に抱きしめていた女の子がいた。

昭和天皇は、その女の子に近づかれて、「お父さん、お母さん?」と尋ねられた。「はい、これは父と母の位牌です」とはっきり返事をする女の子に、さらに「どこで?」。

「はい。父はソ満国境で名誉の戦死を遂げました。母は引き上げの途中病のためになくなりました。」

天皇は悲しそうな顔で「お寂しい」と言われると、女の子は首を横に振って、「いいえ、寂しいことはありません。私は仏の子です。仏の子供は亡くなったお父さんとも、亡くなったお母さんともお浄土にいったら、きっともう一度会うことができるのです。・・・」

昭和天皇は、すっと右の手を伸ばされ、女の子の頭を2度、3度と撫でながら、「仏の子供はお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」と言われた。数滴の涙が畳の上に落ちた。「お父さん」、女の子は小さな声で昭和天皇を呼んだ。


みほとけの教へまもりてすくすくと生い育つべき子らに幸あれ

■9.天皇陛下さまを怨んだこともありました■

因通寺の参道には、遺族や引き揚げ者も大勢つめかけていた。
昭和天皇は最前列に座っていた老婆に声をかけられた。「どなたが戦死をされたのか」

「息子でございます。たった一人の息子でございました」声を詰まらせながら返事をする老婆に「どこで戦死をされたの?」

「ビルマでございます。激しい戦いだったそうですが、息子は最後に天皇陛下万歳と言って戦死をしたそうです。・・・天皇陛下様、息子の命はあなた様に差し上げております。息子の命のためにも、天皇陛下さま、長生きをしてください」

老婆は泣き伏してしまった。じっと耳を傾けていた天皇は、流れる涙をそのままに、老婆を見つめられていた。

引き揚げ者の一行の前では、昭和天皇は、深々と頭を下げた。
「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変だったであろう」とお言葉をかけられた。一人の引き揚げ者がにじり寄って言った。

「天皇陛下さまを怨んだこともありました。しかし苦しんでいるのは私だけではなかったのでした。天皇陛下さまも苦しんでいらっしゃることが今わかりました。今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みません。天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります。」

この言葉に、側にいた青年がワーッと泣き伏した。「こんな筈じゃなかった。こんな筈じゃなかった。俺がまちがっておった。俺が誤っておった。

シベリア抑留中に、徹底的に洗脳され、日本の共産革命の尖兵として、いち早く帰国を許されていた青年達の一人であった。
今回の行幸で、天皇に暴力をもってしても戦争責任を認めさせ、それを革命の起爆剤にしようと待ちかまえていたのである。天皇は泣きじゃくる青年に、頷きながら微笑みかけられた。

■10.復興のエネルギー■

九州御巡幸では約190カ所にお立ち寄りになり、各県とも6、7割の県民が奉迎したので、約700万人とお会いになった。

御巡幸はその後も、四国、北海道と昭和29年まで続き、8年半の間に昭和天皇は沖縄をのぞく、全都道府県をまわられ、お立ち寄り箇所は1411カ所におよんだ。奉迎者の総数は数千万人に達したであろう。

戦のわざはひうけし国民を思ふこころにいでたちてきぬ
わざはひをわすれてわれを出むかふる民のこころをうれしとぞ思ふ
国をおこすもとゐとみえてなりはひにいそしむ民の姿たのもし
   (*なりはひ=しごと)


大日本帝国が崩壊して、始めて国民は間近に天皇を拝する機会を得た。驚くべき事に、それは人々と共に悲しみ、涙を流す天皇であった。一人ひとりが孤独に抱えていた苦しみ、悲しみに、天皇が涙を流された時、人々は国民同胞全体が自分達の悲しみ、苦しみを分かち合ってくれたと感じ、そこからともに頑張ろう、という気持ちが芽生えていった。戦後のめざましい復興のエネルギーはここから生まれた。

昭和63年9月、昭和天皇が病床につかれると、全国の御平癒祈願所に約9百万人が記帳に訪れた。40数年前の御巡幸で昭和天皇に励まされた人々も少なくなかったであろう。

昭和天皇は病床で「もう、だめか」と言われた。医師たちは、ご自分の命の事かと思ったが、実は「沖縄訪問はもうだめか」と問われたのである。御巡幸の最後の地、沖縄に寄せられた昭和天皇の御心は、今上陛下によって平成5年に果たされた。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog136.html



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未分類 | 22:55:57 | トラックバック(0) | コメント(0)
被爆を知る幻のファーストレディー
いつもチェックしているサイト「ウェッジ・インフィニティ」より・・

被爆を知る幻のファーストレディ

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Elizabeth Edwards(エリザベス・エドワーズ)の回想録は、
ニューヨーク・タイムズ紙の週間ベストセラーリストの
単行本ノンフィクション部門で5月に一時、トップにつけるなど
本書は女性読者を中心に圧倒的な支持を集めた。

エドワーズ夫妻は96年に、当時16歳だった長男を自動車事故で亡くしているうえ、
エリザベスは大統領選があった2004年に乳がんが発覚、
苦しい闘病生活を経て治癒したかにみえたものの、
2007年にがんが再発・転移し治癒の見込みがなくなっている。
そして、夫の不倫である。本書はこうした不幸の連続を、
不屈の精神(resilience)でいかに乗り越え生きてきたかを綴ったエリザベスの人生の記録だ。

エリザベスの夫はノース・カロライナ州選出の元上院議員であるジョン・エドワーズ。
ジョンは民主党の若手政治家のホープだった。
2004年の大統領選では民主党の副大統領候補だった。
2008年も民主党の大統領予備選に出馬し、
オバマ、クリントンに次ぐ三番手として注目を集めた。

エリザベスは、父親がアメリカ海軍のパイロットだったことから、
成長期のほとんどを日本で暮らした経験を持つ。
日本に非常にゆかりのある女性だ。

そして、エリザベスが9歳だった1958年ごろ、
父親が山口県岩国市にあるアメリカ海兵隊航空基地に勤務していたとき、
ある日本人女性から三味線と日本舞踊を習った思い出を本書の中で披露する。
Toshiko(としこ)と題した第4章で、その日本人女性のことを詳しく書いている。

もちろん、日本人の読者としては、人生のほかの苦難と同列に、
被爆を乗り越えて生きる力強さだけを強調する本書の書き方には不満も残る。
エリザベス自身が、多数の民間人の命を一瞬にして奪った核兵器について
どう考えているのかも聞きたいところだ。
ただ、多くの一般のアメリカ人が手にするベストセラーの中で、
被爆体験が記された意味は大きいだろう。

今年も原爆記念日にアメリカの大統領は来ない。
もし、ジョン・エドワーズがオバマやクリントンを破って民主党の大統領候補になり、
大統領になっていたらどうだっただろうか。
日本に住んだ経験を持ち、原爆の恐ろしさを知っているファーストレディとして、
エリザベスは今年の原爆記念日をどのような形で過ごしただろうか。
--------------------------------------------
(Toshikoとのエピソードはウェッジインフィニティのサイトからご覧ください。)


こちらはJB PRESSより・・

有権者に媚びるマニフェスト選挙

--------------------------------------------
2009年8月30日の総選挙に向け、
自民、民主両党のマニフェスト(政権公約)が出揃った。
政権交代のかかる天下分け目の決戦だけに、
両党ともマニフェスト策定に全力を挙げた。
しかし内容を見ると、生活不安を強める有権者を意識するあまり、
耳に響きの良いバラマキ政策が目立つ。


(民主党は)こうした政策に必要な所要額を個別に明示し、
その合計が16.8兆円(2013年度)に上るとの試算を公表した点は評価されてよい。
しかし、それをどうやって手当てするのだろうか。
消費税増税には触れていない。

(ちなみに民主党は配偶者控除と扶養控除を廃止するとしています。
 財源はそちらから持ってくるんでしょうか。)
早速、自民党は「財源が無責任で極めて曖昧だ」(麻生太郎首相)と糾弾、
財源問題に民主党攻撃の照準を合わせた。

 これに対し、民主党の鳩山由紀夫代表は
消費税増税に関する従来方針をあっさり修正した。

これまで「4年間は議論の必要もない」と明言していたのに、
7月27日の記者会見では
「(消費税を財源に回す)将来の年金の議論などは当然行うべきだ。(発言を)訂正したい」
と方針転換した。
「(政権獲得後の)4年間で消費税を増税することは一切考えていない」
と強調しているが、党首発言の信頼性や政権担当能力に疑問符が付きかねない。

自民党のマニフェストは民主党に引っ張られている。
教育分野では民主党の「子ども手当」「公立高校無償化」に対し、
自民党は「幼児教育無償化」「高校・大学の給付型(返済不要)奨学金」をぶち上げた。
個別所得補償で農村部の支持を拡大する民主党の選挙対策に危機感を募らせ、
自民党も農家の所得増大策で対抗している。

 このように消費税増税問題のほか、
個別政策でも自民、民主両党の隔たりは狭まっている。

自民党、民主党いずれが総選挙で勝利を収めても、
その後のバラマキ政策の財源は赤字国債の大量増発で賄うのか。
それによって長期金利が急騰する事態になれば、景気回復どころではない。


自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、
 現実の世の中が――自分の立場からみて――どんなに愚かであり卑俗であっても、
 断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても
 『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。
 そういう人間だけが政治への『天職』を持つ

(マックス・ウェーバー著『職業としての政治 (岩波文庫)』脇圭平訳)

 ウェーバーの求める資質を備えた上で政治を「天職」とする議員が、
今回の総選挙で何人誕生するだろうか。

--------------------------------------------


いつもトラバを快く貼ってくださっている ねぇ知ってたぁ? 様のところに、
「なるほど!確かに!」と思うフレーズがありました。

『自民か民主かではない 日本か反日か』

日本か反日か
↑使わせていただきましたw


日本は、信長・秀吉の時代から、
ずっと外国からの侵略と戦い、日本を守ってきました。

その、先人たちが守り続けてきた日本を、
今の時代の日本人は自らの手で外国に渡しかねない危機にあります。

テレビで繰り返し流される「政権交代」というマインドコントロールで、
旧社会党の民主党を中心とする政権ができたら・・

それこそ、戦国時代に、
キリスト教徒になったいくつかの日本の大名が
火薬と引き換えに日本人女性を何万人も(50万人と言う説もありますが)
奴隷として外国へ売ったようなことになりかねません。



日本か、反日か。
愛国か、売国か。


【総選挙★愛国・売国議員候補リスト】


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本筋に徹する
関西テレビ「スパーニュースアンカー」(09/2/25)

番組はじめに流れた、麻生総理とオバマ大統領の会談のVTR。

その中でこのようなシーンがありました。

anchor asou

anchor asou2


このVTRが流れた直後、
山本アナウンサーのコメントが、GJでした!
局アナでこんなことを言える勇気を持っている人って、
なかなかいないと思います。


(山本アナのコメント)
****************************************

まず、一言、お詫び申し上げねばならないのは、
今のVTRの中で、麻生総理がオバマ大統領に対して、
英語で何かを語りかけていた時に、

言いよどんだ言葉、それを、
たとえば「まず」という言葉を三回繰り返すとか、
「ありがとう」という言葉を・・、よどんでしまった、
これを、そのまま字幕スーパーで出してしまいました。

これはあの・・
本番前に、『そういう事は止めよう』という、
あまりにも、そういうことで茶化すのは止めようと、
少なくとも、英語で直接大統領と話をする総理大臣なんだから、
そこはやっぱり評価しないといけない


ということで、打ち合わせをしたんですけど、
何かの手違いで、ああいう形で出てしまいました。

大変、麻生総理大臣に対して、申し訳ありませんでした。

****************************************(以上コメント)


アンカーはまだ比較的公正な方でしたが、
それでもここ最近は中川さんの酩酊会見など、
他の局と変わらないような報道の形やコメントになっていたので、
ちょっと見るのを止めようかな・・・という思いがよぎっていたところに、

山本アナのこのコメントでしたので、
正直、心動かされました。

彼がメインキャスターを務めるなら、
やっぱりこの番組は見よう!と思いましたね^^


この日の青山繁晴さんの「ニュースでズバリ!」のコーナーでの
キーワードが・・『本筋に徹する』でした。

コーナーの詳しい内容は・・・
ぼやきくっくりさんでアップされていますのでそちらを(笑)
(青山さんのコーナーのVTRで、また中川さんの、
 「オ・・オバマ政権の・・」の映像が使われていましたが、
 おそらく編集時点では、ビデオ編集者は茶化す方向だったんでしょうね。)


しかし、山本アナと青山さんは
打ち合わせをしていなかった(らしい)のに、
いみじくも同じキーワードで話をされていたことは、
とても面白いと思いました。


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